「吸血鬼ドラキュラ」
ブラム・ストーカー著。
・・・なんで、こんな本を読んでるかというと・・・それは本屋にあったから。何でかしらんけど、新刊なんかが並んでるところに平積みしてあったのだ。もちろん新刊というわけではないのに(奥付を見ると初版は4/16/1971)なんであんなトコロに並べられていたのかは謎・・・本屋の趣味かなぁ。(笑)
ドラキュラ、っつーと初めて聞いたのは「怪物くん」だったと思うが(笑)、そのあとゲームやら小説やらでいろいろネタにされネタにして来たにもかかわらずちゃんと読んだことはなかったんだよね。・・・ということでせっかくなので(?)、一冊買ってみた。
以下、さしてネタバレというわけでもないけど(笑)、一応反転。
吸血鬼ドラキュラ 創元推理文庫
ジャンルとしてはホラーということになるのかな。昔風に怪奇小説といった方がいいのかもしれない? 読んでみるといかにも古典といった感じで今時の小説のような派手さというのはもちろんなく。しっとりと読ませるような感じか。ホラーといってもあんまり怖くなくて、今だったらむしろ冒険ものにジャンルされるかもしれない。
バンパイア(吸血鬼)の話というよりはドラキュラ伯爵一代記のような話だが、なぜドラキュラ伯爵が吸血鬼になったのかとかそういったことは抜きにして、主人公が伯爵の野望に何となく(笑)巻き込まれてしまったのを何とか阻止するという話。
ストーリィとしては平板で、むろん山や谷はあるもののご都合主義的な展開やキャラクター造形でなんというか淡泊な印象を受ける。ただ、話の語り手として主人公達の日記や手紙という体裁をとっているので臨場感はある。淡泊に感じるのは今の(無駄に)派手なストーリィに毒されているからかもしれない。
主人公達を主導するのは、ヴァン・ヘルシング教授。どうして教授が吸血鬼の存在を知ったのかとかそういった根本的な疑問は省略されていて、とにかく伯爵は吸血鬼だという前提のもとに戦いを始める。対吸血鬼の武器についてもそのよりどころを民間伝承にもとめる(伝承されているんだから役に立つだろう・・・みたいな?)。
考えてみれば、現代の我々はあたりまえのように吸血鬼の弱点(人に招かれないと家の中に入れないとか、流れる水をわたれないとか)を知ってるけれども、この小説が書かれた時代にはそういった話はあくまで伝承として伝えられていて知る人ぞ知る・・・といったものだったのだろう。そう考えると、招待のしれない力ある化け物が人の血をすする・・・てのは恐怖だろうなぁ。
対吸血鬼の武器になるのは、にんにく・聖書(本文で経文とあるのは多分聖書のことだろう)・十字架・聖餅・くい、の5つ。ニンニクをのぞけば全て宗教的に(もちろんキリスト教のことだ)清められていることが条件となる。作中ではくいについても清められていなければならないとされている。そこらへんにある木ぎれとかではダメってことだね。物自体に力があるため、信仰心のある人間が持たなければいけないということもなく、たとえばただ置いてあるだけでも効果を発揮する。・・・てことはたぶん、日本人みたいに日本教の信者でもつかえるんだろう。逆に本人がキリスト教徒でも上記の武器がなければ吸血鬼には立ち向かえない。主人公達は(多分)キリスト教徒だろうがそれでも犠牲者は出てしまう。作中に聖職者は出てこないので僧侶だったら戦えるのかどうかは不明。武器は清められていることが条件なので、逆に言うと清められてないものは役に立たない。吸血鬼物の小説とかで、単に十字形をしたもので吸血鬼を撃退する話も多々あるが、それはある意味誤解や迷信(笑)だといえる。
とまぁ、そんなこんなで。あくまで古典なので現代小説のように登場人物の深い人間関係や現象に対する科学的考察なんてものは全然ないのだけど。吸血鬼について正面から語っている原典として、ファンタジー好きやRPGのプレイヤーは一読する価値はあるだろう。
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